鮫と小魚(1957)Haie und kleine Fische
〈プレスより〉
第二次大戦たけなわの一九四〇年、海軍兵学校在学中のまま、ハンス・タイヒマンは少尉候補生としてドイツ海軍の掃海艇アルバトロス号に同僚三人、ハイネ、シュトーレンベルク、フェーゲレと一緒に配属された。掃海艇といっても名ばかりで、徴発したトロール漁船を改造した代物である。四人は乗組早々古参の士官たちに怒鳴り散らされた。怒鳴ることによって少しでも早く環境に馴れさせようという親心なのであった。ただ、当直士官パウリ中尉だけは〝奴隷監督〟という仇名の通り彼らをこき使い、弱い者いじめに終始した。艇内でも彼の行動は常に不穏な空気をかもしだしていた。
艇隊司令ヴェーゲナー少佐は好人物で、タイヒマンが問題を起した時も寛大にとり計らってくれた。タイヒマンに彼を心のよりどころとして尊敬し、若く美しい彼の妻エディトには若者らしい恋心を燃やしていた。
やがて、ヴェーゲナーの第五十二掃海艇隊に出撃の日が来た。掃海艇の任務は地味だが重大である。そして常に敵機の襲撃の危険にさらされていた。アルバトロス号では、パウリ中尉が緊張のあまり不気嫌になり、部下に当り散らしていた。しかも、アルバトロス号の行動に関するヴェーゲナー少佐の指令をことごとく遵法せず、パウリ中尉は単独行動をとった。このため艇は英国の魚雷艇隊の攻撃を受け、損害をこうむった。その腹いせに、彼は戦斗が一段落してからタイヒマンを石炭庫に勤務替えした。ところが浸水がはげしく「隔壁閉鎖」の命令がおりた時、タイヒマンは石炭庫に閉じこめられてしまった。シュトーレンベルクはパウリ中尉の命令を無視してタイヒマンを助けた。パウリ中尉は自令の命令に反抗したかどでシュトーレンベルクを責めたてた。これを見たタイヒマンは激怒のあまりパウリ中尉を殴った。アルバトロス号に一波乱起りそうな状況になったので、ヴェゲナー少佐はアルバトロス号に現れ、事件の報告を受け、パウリ中尉の単独行動の責任をとりあげ、陸上勤務を命じた。
大破したアルバトロス号は基地へ引揚げた。タイヒマンは上陸するとすぐヴェーゲナー少佐の留守宅を訪れ、出港前エディトに接吻しょうとした非礼を詫びようとした。ところがエディトの態度は彼の恋心をすっかりぶちこわしてしまうものであった。タイヒマンは失望を酒でまぎらわそうとした。彼は悪評の高いナイト・クラブの常連になった。ここの経営者ドラは純真な女性で、ナイト・クラブに入りびたる男たちをいかに扱うべきかをよく知っており、彼らの悩みにはいつもよい相談相手となった。しかし、ここには香ばしくない種類の女性も出入りしていた。
修理成ったアルバトロス号を加えて、第五十二掃艇隊はまた作戦のため海に出た。絶え間ない連合国空軍の猛攻に、艇隊は次第にその数を減らしていった。タイヒマンと一緒に乗組んだ陽気な青年フェーゲレは戦死した。そして一昼夜に及ぶ敵空軍の攻撃で、第五十二掃海艇隊は全滅した。アルバトロス号も沈んだ。重傷を負ったタイヒマンは海中へ放り出されたが、幸いこわれかかった救命艇こかじりついた。彼はあるたけの力をふりしぼって、近くを流れてゆく頭に負傷した一人の男を引き寄せた。それはヴェーゲナー少佐だった。ヴェーゲナーはすでに生きようとする意欲を失っていたが、タイヒマンはヴェーゲナーを助けて海上を漂った。
十時間後、彼らはUボート(ドイツ潜水艦)に救助された。その艦長リュットケ少佐は、この頭に負傷した男が兵学校時代の古い友であることに気がついた。タイヒマンもヴェーゲナーもフランスのある病院に収容された。エディトが見舞いに来た時になっても、ヴェーゲナーの病状ははっきりしていなかった。彼は誰が自分を救ってくれたかを話し、タイヒマンも見舞うようエディトに頼んだ。タイヒマンはこの時意識を失っていたが、エディトはタイヒマンの額に感謝の接吻をして花を置いた。
一年後、タイヒマンは退院して同僚ハイネの両親の家で療養のための休暇を過した。ハイネの父は教養の高い人であったが、極端な反ナチ論者であった。タイヒマンは彼と議論するうち、多くのものを学んだ。ハイネ家に滞在中、タイヒマンはエディトか招待を受けた。エディトに今でも恋心を抱いているタイヒマンは喜んだ。しかしヴェーゲナーが盲目になっているのを見て、タイヒマンはエディトとの再会のよろこびも悲しみに変った。ヴェーゲナー以上にエディトも変っていた。彼女は運命が夫に与えたこの打撃をあきらめきっていた。この場にいたたまれなかったタイヒマンは、適当な言訳けを見つけてヴェーゲナーのアパートを逃げ出した。ドラのナイト・クラブで、タイヒマンは冷酷な戦争の現実を忘れようと試みた。ここで彼は昔の仲間ハイネとシュトーレンベルクに会った。二人とも今度は潜水艦勤務を命じられて勇躍した。しかも、タイヒマンとシュトーレンベルクはヴェーゲナーのはからいで、リュットケ少佐のUボートに乗組んだ。
潜水艦内の生活は、掃海艇とは比較にならぬ程苦しい。リュットケ少佐は責任観念の強い男で、勝利のためには部下に対して慈悲という言葉を知らない。リュットケ少佐の巧妙な作戦と勇敢な行動によって、艦はつぎつぎと勝利を収める。タイヒマンは勝利の歓喜と同時にあらゆる辛苦を味い、絶え間ない敵の追跡に恐怖を感じた。タイヒマンは軍人として、勝利を追求する勇敢な人間として尊敬するリュットケ少佐と、打ちとけようとするが彼はタイヒマンを寄せつけなかった。タイヒマンもやがてこの希望を捨てた。
タイヒマンは人間的な疑問を解決するために休暇をとった。ヴェーゲナー夫妻に会って生きることに対する問題をただしてみるが、二人はすべてをあきらめていた。エディトは夫に対する愛と奉仕が自分の義務だと考えていた。鉄十字勲章をもらったハイネは悲劇のどん底にいた。彼の父が収容所で殺されてしまったのであった。このことを知ったハイネは自殺した。
生きることにも、世間一般に対しても、無関心になることがタイヒマンに与えられ解答であった。タイヒマンは艦へ帰った。戦争は絶望的な段階に突入していた。い
つも敵艦を追い廻していたUボートが、今ではいつもびくびくしながら敵に追われていた。だが、リュットケ少佐だけは別だった。彼は相変らず部下に対して鉄のような勇気と意志を要求した。艦が北極洋で作戦中、魚雷発射管の先端を傷けたが、リュットケ少佐はタイヒマンと氷の海へ入って困難な修理作業をなしとげた。この時以来、二人は固い友情で結ばれるようになった。
やがてリュットケのUボートにも最後の日が来た。敵の砲火で艦の後半が吹き飛ばされた。艦は沈没した。
タイヒマンを含む僅かな乗組員が脱出に成功した。生き残ったこの十数人は、艦を呑んだ渦のまわりをぐるぐる廻った。だが、最後に脱出した彼らの艦長は酸素パイプを船橋にひっかけ、遂に浮んでこなかった。
★「飯と小魚」は戦後西ドイツで最大のベストセラーの一つになった新人作家ヴォルフガンク・オットの長篇小説の映画化である。この小説は”サタデイ・イヴニング・ポストやリーダース・ダイジェスト”にも紹介され、世界に好評をもって迎えられた。(邦訳は桜井正寅訳角川書店版)
物語は第二次大戦中に、ドイツ海軍兵学校在学中のまま掃海艇勤務を命じられ、戦火をくぐるうちに軍人として、人間として成長してゆくタイヒマンという男を中心にさらに彼が人間的な懐疑をいだきながらUボート勤務につくうちの心の変遷を描き、同時に二つの世代に生きる。つのタイプの軍人の姿を描いて深い感動を呼ぶものである。凄絶な戦争場面を数多いが、単なる戦争映画には見られぬ幅と深みをもった作品である。題名の「鮫」は暴力と戦争における暴虐、「小魚」はその「鮫」にすべてを支配される弱き者を意味している。
出演者はいずれもこの一年ばかりの間にスターダムに進出した新鋭ばかり、タイヒマンを演じるハンスイェルク・フェルミーはフランス映画「雪は汚れていた」に端役で出演してわが国にも紹介されたが、ウーファの再興第一作『アフリカの星』にも主演、名実ともに西ドイツの代表的スターとなった。ホルスト・フランク、トーマス・ブラウト、エルンスト・J・ラインホルトなども明日のドイツ映画をになう新人、ウェーゲナー夫人のザビネ・ベトマンは舞台出で映画はこれが三本目。この新人たちをめぐって、ヴォルフガンク・プライス、ハインツ・エンゲルマンなどのヴェテランが脇役を固めている。
監督のフランク・ウィスバーは無声末期にドイツ映画界に入り、「制服の処女」の助監督を経て一本立となり、「制服」と同じメンバーで「黒衣の処女」を手がけて認められ、以来監督作品も多い。戦時中はアメリカで活躍した。
なお、ヒット主題曲"家路はるかに"はポリドール・レコードから発売されている。
西ドイツでは一九五七年十一月に公開され、同年度の外国映画も含めた興行成績のベスト・ワンを収め(フィルムプレッター誌)、また一九五八年度プンタ・デル・エステ映画祭(ウルグァイ)に出品される。
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